現場舞台袖ヒリヒリ百景③

~作曲家の意図にも思い悩む~

 

皆様、クラシック演奏家の「現場事情」はご存知でしょうか。いつもサラッと弾いているかのように見えるプロの現場で行われていること……。ここでは、プロでないとなかなか感じられない現場での都合や不都合についてお伝えしていきます。

我々クラシック音楽家には使命があります。

それは、作曲家の意図を伝える。ということ。

そのために何年も鍛錬し続けているのですが、使命を果たす際にどうしてもよく分からない難題を突き付けられることがあります。

「これ、なんのためにここにアクセント記号が書いてあるんだろう。柔らかい雰囲気なのに鋭く弾いたらおかしいよね」「ここにフォルテ(大きく)と書いてあるけれども、その数小節後にもまたフォルテとある。じゃあ、その間は大きくなく弾くということ?具体的にどのくらい?ピアノ(小さく)?メゾピアノ(少し小さく)?」

作曲家の意図が分からない。そんなことも多々あります。

ここで必要となるのが、それぞれの作曲家についての知識です。例えば、ピアノ(小さく)と書いてあっても、作曲家によっては違う意味合いで使っていることがあります。少し雰囲気を変えて、だったり、ここから何か始まるように、だったり。私たちが習った音楽用語の意味だけではないのです。アクセントも同じように、ほんの少しの響きを足すような表情の付け方を求められているだけのものもあります。そういった知識はレッスンで習ったり、様々な研究書を読んだり、勉強会で学んだり……。黙っていても入ってくるようなものではなく「お金を払って学んだ結果偶然知ることができるものもある」のです。共演者とのリハーサルで得られるものもありますね。最新の研究に触れておくことも大切です。

とはいえ、当時本当にそのように演奏されていたのかどうか、現代の我々には知るすべもなく、想像力で補うしかありません。何せ、演奏会場も楽器の状態もまるで違うのです。唯一の手がかりである楽譜だって、当時常識とされていたことは書かれていない(なんてこった)ことも!そりゃあそうですよね、我々だって、この文章は左から右に読むのですよ、なんて但し書きは記しません。

「楽譜通り正確に弾く」ことを信条とし、作曲家の意図を伝えるという使命を果たすべく日夜努力し続けているのに、最後に必要になるのはなんてったって現場での想像力。が、知識がないと想像力も働かないから、結局のところ車の両輪だと言えます。つまり、道と同じで終わりがありません。なんてこった。

 

 

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